次はノートのお話。
これ、古いほうがこっちかな2000、
私、3年からノートつけてるんですよ。
毎日じゃないんですけどね、この感触はいいなっていう時とか、こうしたらダメだなって
いうダメな例とか、
ここで悩んでて、うまく行かなかったんだけど、これを試したことでうまく行くようになっ
みなさんにもお薦めなのは、プロにアドバイスを受けたりするでしょ?
それとか、もうプロじゃなくても上手な方に、アドバイスを受けて、それを意識してやった
ことを、やったときにうまくいったらさ
買いといて欲しいね。
忘れちゃうから。人は忘れゆく生き物だから。
だから、うまく行ったら、みんなね、考えなくなるの
ボウリングのことをね?で、うまく行かなくなってから、考え出すわけですよ。
だからさあ、
私は逆で、逆をお薦めしてるんですけど、うまく行ってる時こそいっぱい考えてくれないと、うまく行かなくなった時に照らし合わせて、
チェックする題材がないってことがあるので、うまく行かないときには考えても、どうしようって、今からうまく行かなくなってからボウリングのこと考えたって、良くなって
行くの、難しいんです。
なのでね、うまくいってる時に
なんか、ここがシュッとなってここがパッとなってみたいな、その感覚でもいいし、ここだけを注意してるっていう、肘だけとか、そういうなんかうまく行ってるときの
ポイントを元に、書いたりして貰いたい。
私は2003年、
何買いてあるかなぁ、これはね見せられないよ、先言うとくけど、
もうねどの文章を読もうかなって、今みんなにどれを聞いてもらおうかなと思って見てるんだけど全部言われへん。
言葉尻りが恥ずかしかったり、自分が自分に言うてるような言葉だからもう、すごい恥ずかしいなぁ。
例えばね2003年、ほんまに可笑しいよ?表現は。
「レーンの移動ごとに違うレーンなんやし、左右も当たり前に違うねんから、同じイメージなわけがないよ。」って。
「4フレは練習で、5フレからスタートと思って。」は自分で自分に言っているんですけど恥ずかしいやろっ?
これは見せてもいいかなぁ、スイングの時に注意すること。
「自分の手の中で操る」
「フィンガーにずっと重みを感じる」
「大きく、ゆっくり、まっすぐ。」
リリース。
「上体も顔も起こさないで、スパットに集中。」
いっぱいあるなぁこの項目、全部守ろう。
止めるつもり。」
「右肩が前へ行かない。」
きっとね私のレッスンとかワンポイントアドバイスでみんなに言ってることが、書いてあると思う。
姫路さん、ほんまにそう思ってねやって分かってくれるんちゃう?これで。
で、全体は、
「ゆっくり歩く。」
「頭を動かさない。」
「左手止めとく。」
もういっぱいあるからさ、
最初の半分しか読めんけどね、
これも、Q&A、手が回る時の対処法。
「スイングが右に逃げてる」
「かまえの位置が悪い」
「右半身がスイングをよけれていない」
これもだから自分なりのQ&Aですね
こんな時はどうしようと思ったときに、
書く、こういうことね。
だから悪いところをこう書いとけば、手が回る時って何があかんかったん
やったっけ?
研究材料さ、こういうことが同じようなことがエンドレスに書かれてるから、
自分のノート、
これももう私の基本がこれ2009年〜2006年になってますけど、
私なりやから、みんなにはわからないと思うんですけど、まあ、3、4をリズミカルに3、4てちっちゃく行ったほうがいいよとか、
その頃ね、2は、にぃ〜って長く溜めてたので、2本目の右足、そういう感覚も書いてねますね。
めっちゃこれ見せたいけど、見せられへんわ。
なんで見せられへんかというと、
「そうやん、投げ方はどれか、早く見つけることやん、そうやん、
ええねんええねん。
私なりでいいねん、自分でも笑うわ。
あ、2012年は1月1日から書いてるわ。
「関大前。構え方を前に戻したら良くなった。」
1日から考えているわ、ボウリングのこと、
一番最後に書いたのは、
「2017年7月28日関大前。関大前多いな。
「スイングがまっすぐじゃなかった。』
「体重もっと右より。フィニッシュがそのせい。」って書いてある。
大会と準優勝だった大会も書いてるの。これもうボロボロやけどねぇ、あのさぁ途中でさあ、
道具箱に入れてたクリーナ液がダバーッなって、黄色いのもあるんですけど、これで行くとねぇ、これで数えて優勝回数が15回だけど
準優勝回数は12回あるんやってわかった。
全部で27回、次は28回目の優勝決定戦に行きたいんですけどこれを、
自分の、まさかねに2ページ目に行くと思わなかったからさ、こっちから始まって、
ここまで。光栄なことに、行けて。こっちにちょっと順番逆なってるんですけど、これをあのーランクシーカーさん綺麗にまとめてくださいました、
こちらになっております、是非コチラをご覧ください。
ありがたいねぇ。
ミックスダブルスはね、ノーカウントなんですけど、でもこう優勝っていう
大きい賞金だったのでねー、自分の中では書き留めてますけど、最初にさあ、一番最初にさあ、優勝決定戦に行ったのが
斉藤さんこれ、74勝目やったのかなぁ?
ハタボウリングセンターさんで覚えてますけど2005年、
その時さ、私の応援をしてくださる方はまだいらっしゃらなくて、
斉藤さんが投げたらやっぱりみんな「行けっ」「来いっ」って聞こえるの。
すごいなあと思った。全然その、あの対戦相手だったりとか、アウェーだったり、そういう感じ
じゃなくて、私の受け取りはそんなんじゃなかった、すごいなぁと思って、こういう風になって行くん
だって、自分も将来こうなるんだって思ってた。
応援してもらえるんだなーって。
鮮明に覚えています。でで、斉藤さんが闘った後に「怖かったわよ。」って言ってくださった。私のことがよ?
わけないんですけど、対戦相手として
見てくれてたんだっていうことも、すごい嬉しかった、なんかに眼中にないかなーって思って
しょうがないぐらいの、存在の違いだったから、存在感の違いだったんで、きっと私なんかもうその頃で言ったらよ、
もう、ピンッかなーみたいな。
って思ってらっしゃるだろうなぁと想像しか、もう喋ったこともなかったので、
でもそうじゃなくて、
「怖かったわよ。」って。
「全力を出し切りました。」っていう風に言ってくださって、
すごい嬉しかった。
で、それがこう巡り巡って逆の立場になったときに、
すごいよくわかるんですよ、そんなもう相手にこう、楽な人なんてひとりも居ないんだなーっていうことが。
斉藤さんと優勝決定戦を闘ったことがあるっていう事も自慢ですし、リベンジがまだなので、リベンジさせて貰いたいと思ってます。
その次に同じ歳の全日本で時本さんとも闘わせて貰って、時本さんとの対戦はリベンジさせて貰ってるんですよ。
2005年に全日本選手権で負けて、その後MKチャリティカップでリベンジさせて貰って、
その次のJLBCクイーンズオープンプリンスカップでまた負けて終わってるんで、
3回もねー対戦させて貰ってますね。
優勝に浸る時って本当なくって、
これってまあ忘れることはないんですけどね、でも
年数とかさ、場所とか、正式な名称、題名とかって、
うる憶えになってきてしまうのがやだから、書いてるんですけど、これを見る時はやはり、過去の優勝に
浸らせてもらう幸せな時間かもしれませんね。
27回優勝決定戦に行ってて、
15回も優勝できたことがすごいことなんだけど、でもやっぱり倍ぐらいの2位があるっていうことですよね。
あのパーフェクトもさあ、そうじゃない?私最近ね、279がよく出るんですよ。
で、パーフェクトは六甲クイーンズ以来出てないんですけど、そのあと、279とか280とかは出てるん
ですよ。パーフェクトが出る前ってさあ、そうやって9発とか、ちょいちょいやっぱ来るのね、
それで、あ、そろそろかなって。
時には160、160、300、170っていう時もあるけど、でもほとんどが
279出た次の、次の月に300とかさ、
やっぱりこの惜しいのがあって、成功があるっていう感じなの私は。
だから、2位も、何度もしなければならないと思っています。そういう意味では2016年に3度、優勝決定戦
行けたので、今年もね、1回で終わらず2回3回と優勝決定戦に進めるように、頑張りたいな。
年内、今年もうららぼで優勝の報告が再び
私の部屋ね、こんな形。ちょうど、このホワイトボードみたいな形。本棚が、こう置いてあって、
その本棚の上、一番上と2段目は本がバーッてあって、3段目は香水がわーってあって、私の好きコーナー